ラベル

2015年7月2日木曜日

「技術は財産なんだ」

YAMAMOTO EIKOさんの作品


7月になりましたね。

2015年も後半ですね。

寝てても一日。忙しくしてても一日。

ボーっとしてても一日は経ち、笑ってても一日は過ぎ、

なぬー!!ってなっても一日が過ぎ、愛しいなあと愛を感じていても一日が経つ。

どんな過ごし方をしても、過ごし方に“良い” “わるい”は無いから大丈夫。

後悔しなくて大丈夫。

一日中いっぱい寝れたらそのあといっぱい動けるし、

一日中忙しくしてたら、ゆっくりできる時間が至福に感じるし、

ボーっとしてたらアイディア浮かびやすいし、

笑ってたら良いコトやってくるし、

なぬー!!ってことはネタになるし、

愛しいなあって感じてたら愛しいなあってきっと想われてる。



今日は思うことダラダラかこう。

今日のブログは数日前から書いていたもの。

タイトルは先日ある方が放った一言。




いつの日にか私は、自分の作品を「みんな見て見て!」と必死に思わなくなったことに気付いた。

(それってどうなのよ)(欲をもてょ)


先日の個展で、今は自分のやりたいことのベクトルは他に向いていると実感した。

『自分だけの自己表現である個展』に気持ちが向いていない。


多くの美術家は、創らずにはいれない!という衝動で作品を産み出しているのだろうと思う。

いや待てよ、衝動で産み出している人って案外少ないのかも。

あぁ考え出したら話がそれるから、このことは保留。


3年前のブログ (2012年4月16日)で書いたことと同じようなことを未だに私は書いている。

私は衝動でいろんなやりたいことをやり続けているけど、それが芸術かといわれるとそうではない。

っていうか分類するのやめよ。

芸術でも何でもよくて、プロでもアマでも何でもよくて、

センスが良ければええねん。


自称プロでやっている人をみても、「おぉこれでプロなんだ」と逆の意味で勉強になることもある。

今の時代は、機材を揃えればある程度プロ並みの作品が作れる時代になった。

音楽でも映像でも。

そこで必要なのは“センス”だろね。って思う。

どんな作品であろうと、センス良いものを創っていきたい。

これはどんどんやっていってみるしかない。


話を戻して、

私は身近な存在であった、祖父母の「死」、愛犬の「死」、父の「死」、を前にしたときに創作せずにはいられずにいた。


想いの詰まった個展だった。

去年の「帰ってきた たなかしの展。」は、私はここにいるよ!という叫びのような個展だった。


これも想いが詰まっていた気がする。

想いって詰めようとしても詰めれない。

想いが自分から溢れ出した時にカタチになる。

むりくりはあかんな。




私は個展では今のところ、売ることを目的とした作品を作っていない。

じゃあ、何なのかというと、私がつくる作品って体感する作品なのかな。

アーティストは自分の作品が売れてナンボって感じよね、世の中。

売れてなきゃアーティストじゃないのか、

有名じゃなきゃプロじゃないのか。

わたしは自己肯定しようとしているのか?

私は小物作家になりたいわけではない。

私がやらなくてもすでに世の中にはたくさん素晴らしい作家さんが大勢いるからね。



わたしは芸術家になりたいのか?

芸術家で在りたいのか?


わたしはただ、わたしで在り続けたいだけだ。

芸術家って成るものではない。

いつの間にか なっちゃってましたっていう結果だろうな。

芸術家で在るためには作品を定期的に作り、発表し、

ってなんだか違うんじゃないだろうかと感じる。




私は社会に適応しない人間であることは自覚している。


もう、なんの肩書もいらない。

(オーダーメイドペインターというのもそのうちなくそう)


わたしはブリコラージュな人間で在り続ける。

そう、寄せ集め人間。



こんなことを思った。


例えば、

作品が売れる → それが高値! → 有名作家になる → お金持ち

   (安直な図式だな)

お金は大事で大切なものであるのは重々わかるし、

私はお金が大好きで、お金さんいつも私が求めているものに変身してくれてありがとう!!

体験させてくれてありがとう!!

ありがとう!ありがとう!ありがとう!\(^o^)/うっひょーい!と思うけれど、


必要なときに必要なことが回ってくれば、

欲しい時にその状況が手に入れば、

そこまでお金持ちである必要もない。

溜め込む必要は無いんだ。


私はあんまり有名になりたいとも思わない。



逆に言えば、もし有名作家になったとしても、

この作家の作品はお金になるから入手しておこうという、

買う人が心底 作品を気に入って買ってくれるということではなくなってしまう。


あぁ、

なんかそんなことを考えていたら、

今のわたしの人生、めっちゃ楽しいやん!!!!!って感じた。


誰とも換えたくないわたしのとびきりカオスな人生。


私は3年前の 2012年4月16日にとても良いコト書いている。

その一部。



「私は何を続けてゆく?」

まだはっきりしていない。しかし、はっきりしていなくても焦らない。
ベストなタイミングですべての物事はやってくると信頼してるから。
ワクワクすることを毎瞬やって行けばいろんな可能性に繋がってゆくと思うから。


結局、これに尽きる。

そうやって過ごしてきた3年2ヵ月は、すごかった。

出会うべくして出会う人たちと出会ってきた。

それにしても、この文章も さすがだな、私。

はっきりさせることが美徳と思われている世の中だが、

私はこれからもこの先のことをはっきりさせない

なにが起こるか分からない。

どんな出会いがあるか分からない。

決めないからこそ未来が楽しみだ。


そして今、気持ちが向いていることをカタチにしていく。

ただ衝動で動いていく。

はい、

新作。





私の友人である、全盲のコンちゃんが地元愛知のみよし市でAKIRA with WAKANA LIVEを11月2日に主催する。


師匠AKIRAさんと、全盲の歌姫 若渚ちゃんのライブ。

そのお手伝いを私はする。

こんなにかわいいフライヤーが出来ても、コンちゃんが見れないのが残念だね。

障害という暗いイメージや癒しの強要的イメージから
対極にある楽しさを見事に表現している

と、師匠からも気に入っていただけた。


個展やるより、こういうの創る方が向いてるんじゃないかってとても感じてしまうね。



でも、秋の個展「 性 」は やるよ。


先日までギャラリー犬養で行われていたYAMAMOTO EIKOさんの個展は衝撃的だった。

EIKOさんは80歳を超えていて、今回が初めての個展。
作品を創りはじめたのは60代からだという。

EIKOさんの絵は思うがままにここちよく自由に表現されている。
勢いもある。

観に来た人たちは、それぞれに作品からエネルギーやパワーをいただいていた。

はじめてのこの個展はギャラリー側が是非にと企画した個展。

絵を描くとは聞いていたけれど、
こんなにも若々しい作品を創っているとは思わなかった。
衝撃をうけた個展だった。


優しい笑顔の奥にある80数年の歴史は想像できないけれど、
いまこうしてEIKOさんに出会えたことを嬉しく思う。

やりたいことをやるのに年齢は関係ないんだと、
逆に若い人たちが勇気をもらった個展だった。

身の回りの物を整理しなきゃいけない年齢だからあまりもう作らないようにしなきゃ」って
EIKOさんが仰るから、
「これからも思うがままに創っていきましょうよ。自分では無駄だと思ったとしても、
こうして若い人たちは刺激を受けているので無駄ではないです。
創ったらまたみんな(ギャラリーの仲間)がなんとかするので大丈夫ですよ」と伝えたら、
人生の最終章に入る予定だったけど、今一度前へ向かって生きてみようと思うって笑顔になってくれた。
EIKOさんの作品は次々に売れていった。

わたしは素敵なひとに出会えていってることをとてもしあわせに思う。



EIKOさんの絵本より