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2017年2月28日火曜日

たなかしのはどんなひと?シリーズ ⑩~⑫


【 たなかしのはどんなひと ⑩ 】
たなかしの作品のベースは、“想い”だと思う。
大好きなおじいちゃんおばあちゃん、その二人と過ごした家を追悼して取り壊される前に、家をまるごと使ったインスタレーションをしたり。
旅立った愛犬の絵を描いたり、パパの遺影を描いたり、
パパの一周忌追悼個展をしたり。
私は作品を創ることで、旅立った命を昇華させているんだと思う。
 
 
 
写真は、

 
電子書籍版「たなかしのの作品集。ようちえんから30才までの作品。」より
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電子書籍版「My name is Shino Tanaka. [001] (English Edition)」より
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【 たなかしのはどんなひと ⑪ 】
AKIRAさんのこと。
たなかしのを語るには、この人の名前を出さなければならない。
と言いつつ、すでに④で名前は出てたけど、
途中から時系列になったから、あらためて書こう。
AKIRAじぃじとのこと。
 
 
AKIRAさんは私にとって、
一緒にくだらないことで笑いあえる人で、
飲み友達であり、パパであり、じぃじであり、
私の創作の才能を世界一愛してくれていて、
私の才能を存分に引き出してくれて、
私の人生を嵐のごとく変えていった大切な人であり、
お互いに良さを引き出しあう関係の人。
 
どんな出会いだったか、すでに何回か書いてはきてるけど、見ていない方もいると思うので書くね。
最初から写真を撮っていたわけじゃなく、はじめはライブの背景を描く人だったんよ、私。
 
 
【 AKIRAさんとの出会い 】
私がAKIRAさんと出会ったのは2014年7月、札幌のフェアトレードレストランみんたるでのLIVE。
みんたるで用事があり、行ったことのないみんたるのホームページを初めて検索した。
そこで出てきたのは、翌日にAKIRAwithJohnny LIVEがあるという情報、
“アンディウォーホルから奨学金を得てNYアカデミーオブアートに入学した”と記載されたプロフィールだった。
   
私自身、中学高校は6年間美術専攻の学校に通い、大学は美大。
学生時代からアンディウォーホル氏に興味を抱き、本を買ったりもしていた。
そのため、AKIRAさんのプロフィールに異常に惹き付けられた私は、“この人に会わなければならない!”と強く感じ、
翌日LIVEへと足を運ぶことにした。
はっきり言ってその時は、どんな音楽なのかどうでも良かった。会うことだけが目的だった。
わすれられない。当日は大雨。
LIVE前にAKIRAさんと初対面。
プロフィールに惹き付けられLIVEに来たことを告げ、握手を交わした。
あとから聞いたら、AKIRAさんは久しぶりに美術家である自分に接してきてくれた人がいたことが嬉しかったようだ。
 
会うことが目的だったから全く音楽には期待していなかった。(ごめんなさい)
なのに私は歌を初めて聴いて涙が溢れて止まらなかった。
“すべてのものに命が宿っている”
“あなたは私、私はあなた”
“ライフシアター、人生は劇場である”
“子どもは母親を決めて産まれてくる”
“大いなる何か、Something great”
“意識とはエネルギー”
私は、私と同じ考えの人が居て、このような表現方法があるんだと驚き、そして嬉しくなった。
一方ではいろんなものを覆されたかのような気分だった。
 
私にはLIVEの3ヶ月前に父が亡くなり、地元に戻り母親との時間を過ごそうと札幌に帰ってきた背景がある。
年老いた母親を介護する娘の歌である新曲の“千年桜”、
 
「きみがこの世にやってきた日、ママは命をふりしぼった、うめき踏んばり叫びながら、きみを産み落とした」“家族”、
 
人生において無駄なことなど何もなかったんだ。「たったひとつのパズルが欠けても、今の君はいなかった」“PUZZLE”など、
自分の人生に照らし合わせて様々なことに思い巡らせ涙が溢れたんだ。
(当日のAKIRAさんのblog http://ameblo.jp/akiramania/day-20140710.html
 
当日は大雨だったからか、キャンセルが多く少人数での親睦会となり、参加したみなさんとの濃厚で濃密な時間を過ごした。
そして私の作品の写真をみなさんに見ていただき、私がどんな人物でどんな考えの持ち主でなぜ地元に戻ってきたかなどを伝えた。
ここから全てが始まった。
 
AKIRAさんによるたなかしのの第1印象は、しのの絵は死者の視点で生者の生きる喜びを歌いあげてると感動したらしい。
そして、むっちゃいい目をしてると。アメリカ時代にバスキアやアンディじいちゃんとかたくさんの変人といっしょに時代を破壊してきたけど、私と会って、ひさびさにパワーのあるアーティストに出会えたと思ったそうだよ。
 
 
2日後のライブ当日の朝、AKIRAさんから「LIVEの背景に使えそうな絵があれば持ってきてほしい」と連絡を受け、個展に向け描いていた絵「太陽の海」を持っていった。
(当日のAKIRAさんのblog http://ameblo.jp/akiramania/day-20140712.html
 
設置してみると小さく感じたため、もし次の機会があるならば数倍のサイズが必要だと感じてLIVEを観ていた。
すると翌日のライブでも背景を使ってくださるとのことで、徹夜で3倍のサイズにした背景画を作成した。
作ったサイズはピッタリだった。
(当日のAKIRAさんのblog http://ameblo.jp/akiramania/day-20140713.html
 
そんな感じの出会いだった。
 
つづく。




【 たなかしのはどんなひと ⑫ 】
⑪のつづき。
2014年にAKIRAさんに出会って、しの、ネアリカ大会にネアリカを出すんだ!とお声掛けいただき、2014年にネアリカ作品を初出展。
大雑把な性格の私は、1本1本毛糸を並べるとか無理!ってなって、そこからうずうずにして貼っていく技法にした。
私の性格により誕生した横着な技法。
うずうずにすることで、ほかの人にうずうずだけ作ってもらって私が作品に付けていくということができるから、協力してもらうのにめっちゃいい方法だった。
2014年のネアリカ大会でライブを動画撮影させていただき、主催者さんからめっちゃ喜ばれた。
 
こうしてAKIRAさんの撮影は、写真じゃなく動画からはじまった。
 
私の初主催は2015年4月にパパの一周忌追悼個展でのAKIRALIVEだった。
そして6月に、いつもAKIRAさんはスマホを預けてブログ用の写真を撮ってもらってるけど、
このとき、AKIRAさんはスマホをポケットに入れっぱなしだったから、
適当に写真撮っといてって私とかはちさんに言ったことから、私は一眼でのライブ写真撮影をやり始めたんだよね。
 
あと、主催するときに画質の良いライブ写真がほしかったっていうのもあったかな?
 
そこから写真を撮るのが楽しくなって、
数うちゃ当たるだろみたいな感じで、何千枚も撮りまくって、
自分がいいと思う写真に出会って行った感じかな。
 
そしてAKIRAさんも私の写真を気に入ってくれたんだよね。
 
そして2015年7月に大阪でAKIRALIVEを主催するときに、Twitterで1時間ごとにAKIRAさんの名言を配信し続けた。
それをまとめてfacebookに公開したら、AKIRAさんがめっちゃ気に入ってくれて、
写真と名言を一つにしたい!!と要望してくれたのが、
AKIRA名言写真集Willの原点だったね。
 
そして、2016年3月にAKIRA名言写真集Willが完成し、AKIRAさんはむちゃくちゃ気に入ってくれた。
たなかしのという存在も、しっかり軸が定まった気がする。
4月の頭からAKIRAさんの撮影で沖縄や北陸や中部や関西や関東も東北も12月まで撮影に飛びまわったな。
 

 
AKIRAさんは、私の写真にAKIRAさんの人間性が出てるって言ってくれる。
そして今はAKIRAさんのアート作品集を制作。あと映像編集するものが数本。
最近の私がやっていることは、
AKIRAさん関係のものが大多数だね。
写真も映像も。
 
あ、アルバムのデザインもやったんだ。
アルバムの解説ページも作ったり、今ではAKIRAブログのトップのアルバムの写真編集とか、
アルバムの販売ページつくって発送も私が代理発送したりとかしてる。
 
AKIRAカレンダーは私が思いついて勝手に作ったやつね。
 
もうね、おかげさまでやることいっぱいやわ!
AKIRAさんのものだけで。
 
やることいっぱいだけど、いっぱいいっぱいにならないようにゆったりと制作していく。
じゃなきゃイイモノは創れないから。
 
2017年は、ゆったり家で制作に励みますわ♡
 
 
 
AKIRA MUSIC LIST
http://akiramusiclist.strikingly.com/
 
AKIRA BOOK LIST
http://akirabookslist.strikingly.com/
 
AKIRA 全曲歌詞 LIST
http://akiraalbumalllibretto.strikingly.com/